「日本の習慣だもんで覚えてください」多国籍の愛知県西尾市「県営緑町住宅」手探りの共生
安価な労働力の導入が推進される日本。経済界の論理によって変貌し、限界を迎えつつある地域社会の現実を追う。
古い街並みが残り「三河の小京都」と呼ばれる愛知県西尾市。外国人政策が争点の一つとなった衆院選期間中の2月1日、プラスチック成形・加工工場が立つ一角にある「県営緑町住宅」の集会室に、60人ほどの住民が集まった。
現状の背景:改正入管難民法施行(1990)以降、「デカセギ」で来日した日系ブラジル人を中心に外国人が急増。言語・習慣の違いから地域摩擦が絶えず、歪な政策によって限界を迎えつつある共生の現場を描く。
マスクを着けた高齢の日本人や働き盛りの若いベトナム人、幼い子供を連れたネパール人らが、所狭しと並んだパイプ椅子に腰掛ける。時折、赤ちゃんの「あー」という声が響いた。
緑町住宅は2月1日時点で入居する77戸のうち、外国人住民が7割超の55戸を占める。国籍はブラジル、ペルー、パラグアイ、ボリビア、ベトナム、フィリピン、ネパール、インドネシアの8カ国。ブラジル出身者が最も多い。住民と向かい合う長机には5人の自治会役員が横一列に陣取った。このうち4人は外国にルーツを持つ。
「今日は共益費と駐車場のことで、集まってもらいました」
── 午前9時過ぎ、ブラジル出身の日系2世で自治会長の江藤裕希子(50)
言葉の壁、思うように進まぬ総会
議題は共益費(1600円)と駐車場代(1500円)の徴収の県移管。全戸に出席が義務づけられ、4カ国語で書かれた「お知らせ」には「欠席の場合は罰金(3千円)を徴収いたします」と書かれていた。
しかし総会は言葉の壁もあり思うように進まない。日本語→ポルトガル語→英語→ベトナム語と次々に訳されるが、正確に伝わっているかどうかは微妙な雰囲気だ。
たまりかねた元自治会長の川部国弘(74)が「ここ何年か、払わない人が増えていて役員さんは困ってます」と伝えた。役員のエルナニ・セザル(58)も自治会費の負担を「日本の習慣だもんで覚えてください」と三河弁で呼びかけた。自治会によると、滞納者は十数人、滞納額は計約70万円。
「(滞納者は)出て行ってもらった方が良いんじゃないの。そんな性格の悪い野郎はベトナムだら、どうせ」
── その一言に、役員たちは一斉に色めき立った。
川部も「何人(なにじん)とかじゃないの。払わない人がいけないの」とたしなめた。臨時総会は1時間ほど続き、議論は深まらないままお開きとなった。
「深刻な人手不足」という大前提の欺瞞
本記事の基調にある「深刻な人手不足にあえぐ日本」という前提そのものが、経済の実態から乖離した欺瞞である。真に人手が不足しているなら市場原理として必ず「賃金の上昇」が起こるはずだ。
大手飲食チェーン社長が経済番組にて「外国人の特定技能が駄目となると、日本人の高校・大学・専門卒を中心に取るしかない」と発言し、「日本人が妥協案なのか」「適正賃金を払いたくないだけだ」とSNSで大炎上。
経済界が叫ぶ「人手不足」の実態は「安い労働力が不足している」に過ぎない。日本人の適正賃金を後回しにし、「人手不足」を隠れ蓑に安価な外国人労働者を大量導入しようとする構造がそこにある。
愛知県西尾市「県営緑町住宅」の現状要約
経済界の「安価な労働力の渇望」が地域社会にもたらした末路(ツケ)が、この県営住宅の姿である。
77戸のうち外国人世帯が7割超(55戸)。8カ国混在で自治会役員5人中4人が外国籍となり、日本的な自治運営が困難に。
滞納額が計約70万円に達し、総会出席に「罰金3000円」を設定しなければ運営が維持できない状況。
多言語通訳を繰り返すが正確な意思疎通は困難。「日本の習慣を覚えて」という訴えも空虚に響く。
本質的な帰結:誰がツケを払わされているのか
本件の核心は、企業の目先の利益追求しか考えない姿勢が起点にある。利益を享受する一方で、社会的摩擦やインフラ負担というコストを一切背負わない。
その結果、日本人が長年維持してきた『地域自治の精神』や『公共の秩序』が内側から崩壊。最終的に国民の生活環境や治安そのものを脅かしているのが、この国の偽らざる実態である。
[DEEP ANALYSIS] 幻の「多文化共生」:地域社会への負担転嫁と崩壊の現場
【法改正の代償】統計が語る真実と1990年の起点
愛知県西尾市の「県営緑町住宅」の現状は、決して特殊な一事例ではない。これは、日本全体が今後直面する「多文化共生」の必然的な帰結である。グラフが明確に示しているように、日本の地域コミュニティが変容する決定的な変曲点は1990年の入管法改正にあった。「日系人」という血統を口実にした事実上の単純労働者・デカセギの受け入れ拡大は、経済界の要請を背景に行われた。2001年のスパイク現象(13.5%への急伸)に見られるように、特定地域での集中居住が始まり、一時はリーマンショック等で微減するも、近年再び上昇局面に転じている。経済界が「安価な労働力」を求め続ける限り、この波は収まることなく、むしろ日本独自の高信頼社会という見えない基盤を確実に浸食していくのである。
【共生のシステム疲労】言葉の壁を超えた「規範の隔たり」
総会における自治会長の苦労や通訳を介した対話の不成立は、「言葉の壁」という表面的な問題にとどまらない。より深いところに横たわっているのは、日本特有の「公共への責任」と「暗黙の了解」という文化規範と、移民コミュニティの間に存在する決定的な隔たりである。共益費や駐車場代の負担という、日本では当然とされる「共同体の維持コスト」さえも、罰金という強制力をもってしか徴収できない現実は痛ましく、かつ象徴的である。「日本の習慣を覚えてください」という三河弁の切実な訴えは、異なる文化を無秩序に混ぜ合わせようとする「多文化共生政策」そのものの破綻を示している。自治の維持が崩壊すれば、それは必ず治安の悪化や地域全体の資産価値の低下として数字に現れることになる。
【偽りの経済コスト】限界の自治と「ツケ」の払い手
利益相反の最も醜悪な図式がここにある。工場などで安い賃金で外国人を雇用し、直接的な果実を吸い上げているのは特定の企業や産業界である。しかし、彼らが生活する上での言語的サポート、ゴミ出しや騒音のトラブル対応、そして何よりも地域コミュニティの治安や維持管理のコスト(今回で言えば約70万円の滞納額等)は、すべて地方自治体や日本人住民に押し付けられている。これを経済学的に表現すれば「社会的コストの完全なる外部化」である。企業は適正な賃金を支払って日本人を雇い、社会に富を循環させるという本来の義務を放棄し、そのツケを末端の地域住民に支払わせている。「人手不足」ではなく「安い労働力の不足」に過ぎないという真実を、緑町住宅の悲鳴が証明している。
【共存のための抜本的再考】「棲み分け」に向けた社会的現実の直視
本来、「共存」とは、無秩序に居住空間を混ぜ合わせることではない。異なる文化・歴史の重みを持つ者同士が、互いに自立した上で適度な距離を置き、不用意な干渉を避けること——すなわち「棲み分け」こそが平和を保つもっとも知的な手段である。現場で起こっている摩擦から目を背け、「差別だ」「多様性だ」と無責任なスローガンを唱えることは、かえって偏見とヘイトを助長する結果にしかならない。政府が推し進める『育成収労制度』に代表される実質的な移民拡大政策は、この緑町住宅のような無数の「ひずみ」を全国に拡散する自死行為に等しい。私たちに必要なのは、痛みを伴う適正賃金への移行と技術革新(DX)による抜本的な生産性の向上であり、もはや幻想となった多文化共生という綺麗事と決別する勇気である。